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kimuramikera

ストーリーオブマイライフ わたしの若草物語


こんばんは😃▲AuventVoyage▲の木村ミケラです✨✨



ついに、「ストーリーオブマイライフ~わたしの若草物語~」を鑑賞して参りました😭😭


私が「若草物語」を舞台化しようと思ったのが、どうやら2018年の10月頃のようです。


その頃の詳細が残ってないのであまり覚えていないのですが(苦笑)


劇団を休団中の時期で、気持ちも体調もガタガタ落ちていってるときに新しい作品を産み出すことを考えたら、気持ちがスッと楽になっていったんですね。そのときに、あー、私の人生と演劇は切り離せないんだなあと腹に落ちた記憶があります。


そこから作品を選び、幼い日に勇気や元気をもらった作品「若草物語」を舞台にしようと立ち上がったのが始まりでした。


それから数ヶ月、物語をさらいだし、脚本を書き始めた時期に、19年の冬に「若草物語」が映画になるっと知ったんですね(笑)そしてそのあとミュージカルになることも知りました(笑)


どん被りもどん被り(笑)でも私としては情報を受け取った頃にはもう走り始めていた時期だったし、二番煎じと思われるのが嫌だったので作品が決まったらさっさか公表しました(笑)


結局のところ我々の公演は当初の映画公開日の一週間前に決まり、公演自体は公としての形は延期、そして映画の公開は延びて6月となりました。


やっと1若草物語ファンとして待ちに待った映画を見て、真っ先に思ったことはですね、この作品を観る皆様に私たちの物語もお届けしたかった。


それに尽きました。

映画は約2時間半、そこそこ長い方ですが、2時間半に、小説二本入れ込むのは容易なことではありません。一本まとめるのにだって結局2時間5分かかりましたから(爆)


それも、泣く泣く削って削って削りに削ってです。初稿は4時間ありました(笑)


今回の作品はこれまで映画化された三本とは作り方が異なります。


※ネタバレあります


時間軸としては「若草物語2」の方に焦点を当てて、今と、過去が混在する構成となっています。


なかなかに若草ファン向け、なんならオルコットファン向け玄人向けの作り方だなと正直思いました(*´ー`*)


たった3か月前のことですが、3か月前のことを思いだし、全編通して泣いていた気がします(苦笑)


オーチャードハウスが初めて画面上に映ったとき、私たちの作品と、そしてこれまでの映画でのオーチャードハウスが、混在して、懐かしい我が家へ帰ってきたかのような錯覚に陥ったのです。


それは「若草物語1」に、描かれる「過去」へ戻る瞬間に何度も何度も起きました。


私たちも辿った旅路、パーティーをカーテンの隙間から覗くローリーとジョー、ピクイッククラブ、郵便受け、クリスマスのごちそう、無惨に焼かれる原稿、しきりに鼻をさするエイミー、ドレスは嫌いだけど君は素敵ですと語るローリー、髪を切って泣くジョー、フンメルさんのお宅へパンを届ける健気なベス、一途にひそかに思いを募らせていくメグとブルック先生。そして何といっても優しくときに厳しいお母様のMarmee。


私たちが描けなかった部分もより強く感じることができました。ローレンスのおじいさま、マーチおばさまの孤独と愛情、いとこたちとのピクニック、クリスマスの演劇会。


もちろん私が選んで映画にはなかったシーンも。喜びの山々、お母様からの聖書のプレゼント、そして「天路歴程」。


どちらにも描かれない泣く泣く削られたシーンも。ローリーのひどいいたずら。娘たちそれぞれのお父様へのお手紙………。


ひとつひとつ、各章の物語が、思い出されていくようでした。


若草物語1には思い入れがありすぎて、語りたいことが多すぎて、書きながら涙が出てきます。皆様には抜粋という形でしかお届けできませんが、本当に、全編、見て頂きたかったです。今はただ、時が満ちるのを待ちながら、私の思いも備長炭にしていくだけです(笑)


さあ、世界線を現代に戻し、23になったジョーにお話を戻しましょう

若草物語2には明確に好きなシーンがあります。その部分が割りと丁寧に描かれていたので、私は本当に嬉しかったです。それは、ニューヨークから帰ってきたジョーが、ベスと海辺に静養に来るシーンです。


私は若草物語を2のなかで、あの静かで、穏やかなシーンが一番好きです。さすがにそこまで細かく書かれることはなかったけど、ジョーがベスはローリーのことが好きなのだと勘違いしているところ、そしてベスが「この世の心残りは、自分は誰の役にも立てずに死んでいくこと」とジョーに打ち明けるシーンがあるのですが、本当に、作中でも言ってますが、ベスは、天使で天使で、……あのシーンは実際の妹、エリザベスとオルコットの間にあった話なのではないかとひそかに思っています。


彼女の愛した妹は作品の中で永遠となりました。


私は映画の中での小さなあのワンシーンで、その事を深く心に思い描いていました。


みんなが家からいろんな形で巣だって行く中で、一人屋根裏でここにとどまり続ける自分の孤独をお母様に打ち明けるジョー。不思議です。自分がみんなを、うちを守ってきていたはずなのに、気づけば自分だけが取り残されているような途方もない虚無感と孤独感、彼女の人生は、常に自分への発見に満ち溢れています。それはジョーにだけではなくて、オルコットも、持ち合わせていた虚無感なのではないかと、私は思っています。


そして物語の終わりは、今までの三作とは全く違うものでした。オルコットとジョーが入り乱れて、一体今はどっちなの?という瞬間が訪れます。


少し足元を掬われた気もするのですが(苦笑)、赤い背表紙に「LITTLE WOMEN」の文字が刻まれた時、そんなことは些細なことだと言う気がしました。


愛すべき姉妹達を永遠のものとしたこと。それが彼女の全てだと思わせてくれる、物書きらしいラストでした。


私も台本を製本してきたときに、同じことを感じたのです。


ああ、これからも「繋げていける物語」をひとつ形にしたのだな、と。


この物語は、150年の時を経て、たくさんの形でメディア化されて、そしてこの先も、この物語を愛する人がいる限り、永遠に「生き続けていく物語」です。


私はそんな作品を、これからも作り上げていきたい。


木村ミケラ 2020.06.26

▲Auvent Voyage▲







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